この1年半はわが国のみならず,世界の金融界においてまさに激動 という言葉でしかあらわすことのできない時期であった。
国際的には,アジア通貨危機の広がり,ロシアの国内短期債支払停止,ヘ ッジファンドの破綻という欧米金融機関の経営を揺るがしかねない事件が続 き,その一方で,合従連衡の動きも活発であった。例をいくつか挙げれば, ネーションズバンクとバンカメリカ,ファーストシカゴとバンクワン,シテ ィコープとトラベラーズなど,大きな金融機関がますます大きくなる傾向は 引き続き顕著である。特にシティコープとトラベラーズの合併により生まれ たシティグループは,傘下に銀行(シティバンク),保険(トラベラーズ), 投資銀行(ソロモン・スミスバーニー)を擁する一大金融コングロマリット である。英国でも1998年2月にゼネラル・アクシデントとコマーシャル・ユ ニオンという保険会社の合併があり,また,ビルディング・ソサエティと呼 ばれる地域金融機関の統廃合や普通銀行の転換も後を断たない。
振り返ってわが国を見てみると,1997年11月には1ヵ月間に上場金融機関 が三つも破綻するという,まさに未曾有の事態を体験し,また1998年後半に かけ,月刊誌の記事をきっかけに,筆者が学生であった1988年当時には「入 りたくても入れなかった」銀行が,実質破綻と認定された挙句国有銀行化さ れた。一方で,1997年12月の間貸し/間借り方式での銀行の店舗を゛物理的 に″用いた投信の販売が開始され,1998年4月には新外為法の施行,さらに 同年12月には銀行本体による投信販売の開始と,ビッグバンに向けてのわが 国金融機関,特に銀行の動きが一段と活発になる中,日本の金融機関を巻き 込んだ,あるいは本邦金融機関同士の提携,合弁,協力の動きは後を絶たな い。「外資」という言葉を頻繁に耳にするようになったのは決して不良債権 や担保不動産の買収案件のためだけではなく,言葉の正確な意味での戦略的 な動きが外資系の側でも着実に行われているのである。 1200兆円という数字 はわが国の個人金融資産の金額としてよく言われる数字であるが,年率0.1 %でも1兆円ずつ毎年増えるこの金額が全く変化しないのはなぜかはとりあ えず置いておくにしても,企業の持ち主も,保険会社の資金も,銀行の貸出 も,基をただせばすべて個人に行き着くのは当然で,その資金を目指しての 生き残り作戦を絡めた金融界の動きから,今後も目が離せそうにない。
デリバティブという言葉は甘美でかつ危険な響きを持っている。デリバテ ィブは,使いこなすことさえできれば世の中のすべてのリスクは自分と関わ りがなくなるという夢をもたらしてくれる甘美さを与えてくれる一方で,実 名を挙げるまでもなくデリバティブを用いたために損失を蒙ったと主張, 裁判にまで持ち込んだ例は英米でいくつかあり,使い方を誤ると大変なこと になるという危険さも感じさせる。筆者が社会人になった平成元年頃はまだ デリバティブという言葉は日本語として定着しておらず,単品ごと,例えば 「株価指数先物」とか「為替オプション」または「スワップ」という表現 をしていたのだが,特にオレンジ郡の事件以来,相場のあるもので現物 取引でない取引すべてをデリバティブというくくりかたをするのが流行のよ うである。そのこと自体は決して愁うべきことではないが,デリバティブと いう範躊にさえ入れておけば,「私はカタカナは苦手で」と敬遠するのが容 易であるとか,逆に,横文字/数学に弱い世代に対して中身をごまかし やすいという[不純]さを感じる昨今であり,こういった風潮は広い意味で 金融界に対する誤解を助長することにもなりかねない。
デリバティブが元で発生した損失に関して言えば,「他人を傷つけるのは 銃そのものではなく,銃を使う人である」というのはまったくの真理である。 オレンジ郡の件を例を用いて簡単に説明しよう。オレンジ郡の資金運用担当 者C氏は米国の低金利がしばらく続くものという予測を持っていたらしく, 逆変動利付債と呼ばれる債券を大量に購入していた。債券の発行体の大部分 は米国政府機関であって元利払いがなされることはほぽ間違いないものの, 3ヵ月あるいは6ヵ月毎に見直される利金金額は短期金利が低ければ低いほ ど多くなる,逆に短期金利が高ければ高いほど利金金額は少なくなるという 仕組みである。この債券を手元にある資金を用いて購入し償還まで保有して いれば,利金額の変動はあっても償還日に元本が戻ってくるのはまず間違い 無く,そもそも損失(5)が発生したという認識ができたかすら疑問である。 ところが,C氏は「購入した債券」を担保に資金を調達し,手元資金以上の額の投資を行っていた。米国の短期金利が上昇を始めると,逆変動利付 債の将来の利金金額は減少していくことになり,したがってこのような債券 の価格は下落していったが,その上うな債券を担保に資金を貸し付けていた 側は担保価値が一定の基準を割り込むと担保の追加を要求するし,追加担保 が提供されない場合には担保となっている債券を売却することによって資金 の回収を図った。ところが,担保価値が一定の基準を割り込んでいるという ことは,担保として供されている債券を市場で売却したところで借入が全額 返済できるわけはない。貸したお金を全額返してもらいたいのは投資銀行で あっても当然で,貸し付けた側からの返済要求が起こり,そのあとの騒ぎは 周知のとおりである。この件について「銃」は逆変動利付債という商品(8) であるが,この商品を手元資金を大きく超えて投資する(9ごとによってオ レンジ郡は傷ついたのである。筆者の勝手な想像ではあるが,仮にC氏が手 元資金の範囲で同様の商品を購入していれば,商品の実態/時価に注目した り気づいたりした人はまずいなかったであろうし,ましてあれほどの騒動に はならなかったはずである。それが正しいことかどうかはもちろん別問題で はあるが……。
人間の心理として100円の投資が80円になることは我慢できても,現金が 動かないで20円の損をすることには納得できないものであるし,まして借金 をしてまで投資をして損失を蒙るに至っては親兄弟から何を言われたものか わかったものではないが,この三つは経済的にはまったく同じことである。 簡単な算数を使えば納得してもらえると思う。今,手元に資金が100円ある ものとし,3ヵ月金利か4%であったとしよう。この100円で株を購入し3 ヵ月後に80円で売却したら,3ヵ月後の手元資金は80円である。一方現物株 を購入しないで3ヵ月後の先物を買い立てたらどうなるであろうか。買い立 てる際の先物の価格を101円とすると,3ヵ月後の先物決済時の価格はその 時の現物価格であるから80円,したがって21円の損失となる。ところが,先 物買い立てと同時に手元の100円を金利4%で預金しておけば3ヵ月後には101円になっているので,そこから損失額21円を差し引いて,3ヵ月後の手 元資金はこの場合も80円である。また,この株を購入するのに借金をしたら, 3ヵ月後に返済する金額が101円,株の売却代金が80円であるが,一方で, 手元資金であった100円も1円の金利を生んでいるので,差引80円が手元に 残るのはこの場合も同じである。
このように,現物相場/先物相場/金利はそれぞれに関係しながら,同じ リスクを取ったときの経済的効果が同じになるように,少なくとも理屈の上 では価格が形成されている。これは取引の対象が株価指数であっても銅であ っても,また金利であっても同様であり,「相場」つまり価格が変動するも のを相手にする以上,現物であろうが先物であろうが根本的なリスクに差は ない。デリバティブがどうしても新聞/雑誌ネタになりやすいのは,まだ一 般的な浸透度が低く,デリバティブ性悪説を唱えておけば金融知識をあまり 持だない知識人層の興味も引くからなのであろうと筆者は邪推しているので あるが,経済的効果が同じである以上,デリバティブ性悪説はすなわち相場 性悪説である。株式に関する記事が掲載されていない一般定期出版物はほと んどなく,1998年4月1日の改正外為法施行に前後して雨後の笥のように世 の中にあふれた外貨預金/外債投資のハウツー本,あるいはこれらの商品の 魅力を煽るホーム財テク誌が後を断たないところを見ると,相場あるいはリ スクを取ること自体が許されないという極端な方向にまで世の中が動いてい るわけでもないようである。
ここではデリバティブの中でもまだ一般に馴染みの薄いクレジットデリバ ティブ,ならびにクレジットデリバティブと関連の深い金融技術である流動 化/証券化に焦点をあてている。ともに言葉だけだととっつきにくいように 聞こえるかもしれないが,根本の理屈はそれほど複雑なものではない。派生 している元の市場がどのように形成されているかさえ把握してしまえば,あ とは算数の世界である。ただ,派生する元ですらピンと来ない読者も多いで あろうから,まずは「クレジット」とは何かということから観察していくことにしよう。